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山下 太郎(やました たろう、明治22年(1889年)4月9日 - 昭和42年(1967年)6月9日)は、日本の実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」などと呼ばれた。 楠木正成の子孫楠木正具の子孫にあたり、「楠木同族会」の初代会長を務めた〔湊川神社「楠木同族会」 〕。 == 生涯 == === 出生・札幌農学校時代 === 秋田県平鹿郡大森村(のち大森町、現・横手市)に近藤正治・みつ夫妻の長男として生まれる。太郎の祖父母にあたる山下太惣吉・ひさ夫妻の養子となり、山下姓を名乗る〔近藤(1981)p.795〕。祖父はまもなく死去し、祖母の手で育てられた。大森小学校4年を修了し、東京の実父母の元で慶應義塾普通部に通った。その後北海道帝国大学農学部(旧札幌農学校、現北海道大学)に入学、北海道に渡った。 北海道帝国大学時代、のちに北海道学芸大学(現北海道教育大学)および帯広畜産大学の学長を務めた農学者の田所哲太郎(秋田県能代の出身)と知り合い、親交を深めた〔後年(1938年)、山下太郎は田所のために生物化学研究所の設立資金を寄付している。 〕。明治42年(1909年)3月、北海道帝国大学農芸学科を卒業〔山下太郎氏年譜 〕。道産品のアメやバターの改良を手がけたりしながら、従兄の山下九助とともにオブラートの新しい製法を発明し、特許を得た〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下太郎 (アラビア石油)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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